健康だからこそ美しい|“ルッキズムの時代”に健康食品が果たす本当の役割とは?
「ルッキズム」という言葉を、最近ではよく耳にするようになりました。見た目至上主義とも訳され、外見の美醜によって人が評価される風潮を指します。確かに、行きすぎたルッキズムは差別や偏見の温床となりえます。けれど私は、見た目に気を配ることそのものを否定すべきではないと思うのです。
むしろ「健康だからこそ美しい」という視点こそ、今の時代に必要な価値観ではないでしょうか。
若年層に広がる“外見偏重”の価値観
厚生労働省の調査によれば、20代の女性のうち、約5人に1人が「やせすぎ」の状態にあるとされています(令和元年国民健康・栄養調査)。一方、SNSの普及により、10代・20代の若者たちは「見た目」を強く意識する環境にさらされています。
文部科学省の『児童生徒の問題行動・不登校等調査』では、いじめの理由として「容姿・体型」が上位に挙げられており、また、ある民間調査(2024年 Z世代マーケティングラボ)では、Z世代の約60%が「見た目の良さが将来の成功に影響すると思う」と回答しています。
つまり、ルッキズムは“個人の価値観”ではなく、すでに社会構造の一部になっているのです。
進化心理学から見る“見た目=健康”の背景
人間が外見に惹かれるのは、単なる文化的刷り込みではありません。進化心理学によれば、「左右対称の顔」や「肌のツヤ」は、健康状態や遺伝的安定性のサインとして、人類の長い進化の中で無意識に重要視されてきたのです。
つまり、私たちは“美しい”と感じる外見に、実は「健康そう」「病気にかかりにくそう」「妊娠・出産能力が高そう」などの進化的シグナルを読み取っているのです。
ですから、美しさを求めることは、単なる虚栄心でも表面的な願望でもありません。「健康でありたい」という、本能的な願いの表れなのだと思います。
“健康的ルッキズム”という新しい発想
私は、従来の「ルッキズム批判」だけでは不十分だと感じています。もちろん、外見至上主義には問題があります。しかし、「健康的に美しくなりたい」という欲求を否定する必要はないはずです。
そこで私が提唱したいのが、“健康的ルッキズム”という考え方です。
これは、見た目の美しさを「健康」の延長線上に捉えなおすアプローチです。肌がきれいなのも、髪がつややかなのも、姿勢が良いのも、すべては「健康の結果」であるという前提に立つ。そして、その健康を維持・改善する手段として、健康食品が重要な役割を果たすのです。
美と健康を橋渡しする健康食品の可能性
ここで、私が日々お手伝いしているOEM開発の現場の話をしましょう。美容系サプリメントの多くは、原料や処方に「美と健康」の両立を目指した設計が求められます。
たとえば、
- コラーゲンやヒアルロン酸 → 肌のハリ・うるおい(=若々しく見える)
- NMNやレスベラトロール → 細胞レベルでのエイジングケア(=老け見え防止)
- ビタミンB群や鉄分 → 血色感・エネルギー維持(=生き生きとした外見)
これらの機能はすべて「健康の指標」であり、同時に「見た目の印象」に直結する要素です。
つまり、健康食品は、健康になるための手段であると同時に、見た目の魅力を高めるためのツールでもあるのです。
販売者こそ“健康的ルッキズム”の視点を
ここまでの話は、決して哲学的な議論ではありません。むしろ、私たち健康食品に関わる事業者こそ、「健康的ルッキズム」の視点を持つべきだと思うのです。
なぜなら、それがユーザーの“本当の願い”に寄り添うことだからです。人は、「健康になりたい」と同時に、「きれいに見られたい」「若く見られたい」と思っています。
その願いに応える健康食品を開発するには、
- 体感性がある(数ヶ月以内に何らかの実感)
- 安心できる(アフターケアがしっかりしている)
- 続けられる(味・形状・価格に納得感がある)
この3つの条件を満たすことが大切です。
健康だからこそ美しい。
私は、甲子園球児たちの姿を見るたびに、「健康だからこそ美しい」と感じます。日焼けした肌、全力で走る姿、声を枯らして応援する仲間たち。その全てが、無理なく、健全で、自然体で、だからこそ“美しい”のです。
あの美しさには、サプリもメイクも必要ありません。ただ、健康があるだけです。
販売者や開発者の皆様へ
あなたが、健康食品をつくる立場であるならば。「ルッキズムは悪」と斬って捨てるのではなく、「健康的ルッキズム」という考え方でユーザーの本音に寄り添ってみてください。
見た目への関心は、本来の意味での“健康への欲求”と裏表一体です。その気持ちに寄り添った商品開発は、売上という形で、あなたに必ず返ってくるはずです。
そう思って、今日も私は健康食品の開発サポートを続けています。

